東日本大震災から8年
2011年3月11日 午後2時46分
この時間を境に、人々の暮らしが一変しました。
それは、8年という月日が流れた現在でも、それぞれの人の記憶に鮮明に残っています。
西東京市田無町にある桜保険事務所では、突然の衝撃とそれに続く激しい揺れにおそわれました。部屋のすみの冷蔵庫がすべり、悲鳴があがり、書棚のファイルが落ち、事務所2階フロア―にいた職員は机の下に潜り込みました。互いに声を掛け合いながらも、自宅に病人を抱える職員は心配でたまらず、急いで自宅に向かおうとするのを必死でとめました。
小学生の子どもたちとの連絡も全く取れませんでした。電話も途絶えがちになり、お客様からのご連絡に緊張感が走りました。
営業車で多摩地区の外回りをしていた職員は、情報が入らない中で、信号が消えた道路を使って帰社してきました。しかし、その後、西武新宿線・池袋線はストップし、新青梅街道は、帰宅する人と車両で大渋滞。社有車に所員を分乗しての帰宅体制を講じましたが信号は消え、危険もありました。
所内では、情報源であるテレビから津波が押し寄せる映像が途切れなく流れ、その様子を見続けていました。しかし、あまりものすさまじさに、途中で不安が募り、見続けることができなくなりました。東北出身の職員は、実家との連絡がとれず、その不安といらだちは、それから一週間続きました。
事務所の機能は、翌日から確保しましたが、次第に明らかになる事態に保険の仕事の果たす役割と職員の安全、備蓄の備えを強めました。
また、計画停電によるサーバー内の顧客情報の安全確保に細心の注意を払い、保守業者との体制づくりのための議論を重ねました。
なお、大震災を教訓に自動車保険に「地震・噴火・津波危険車両全損時一時金特約」が新設されました。3・11を機に、契約者の皆様とともに、あの日と今後に続く道を共有したいと思います。そして、この教訓をもとに、その後の大災害の時には、加入者のみなさまに連絡を取ることを続けています。